つれづれに

金子 貞雄 

何年か前のこと。妻が珍しく不機嫌な顔をして帰って来た。聞けば、熊谷郵便局前の道路で「駐車違反で捕まってしまった」というのである。あそこは、白線の枠内に駐車しないと違反になるところだ。妻も知っていたはずだが「今まで一度も捕まったことがないのに。じいちゃんのせいだ」と怒りの矛先を私に向けて来た。路上の枠内駐車場が満杯だったことと、雨の日で私が大量の 「料金後納・ゆうメール」の郵送手続きを頼んだために、局の入り口近くでないと、荷物を持ち込むのが大変な仕事になる、という思いが一瞬よぎったのだという。優良運転主にも間がさすこともあるようだ。
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私は、熊谷駅南口前の路上で、駐車違反で捕まったことがある。前にも何回かその辺りに駐車したことはあったが、それまでは一度
も捕まったことはなかった。まだ南口に喫茶店があった頃のことで、友達三人とコーヒーを飲んで出て来たところを現行犯で捕まってしまった。それも警察官ではなく、民間の 交番協力員で、熊谷駅前交番南口派出所へ連れていかれた。ここは、普段不在の事が少なくなく、気にもしていなかったが、不幸にもその日は警察官が勤務していた。交番協力員も初めて見た。間が悪かったという思いがした。
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私はこの頃、記憶力が極めて弱くなっているのだが、交通違反だけは全て覚えている( 覚えている違反だけで全てを覚えていると思っ
ているのかもしれないが・・)。駐車違反は、その一回だけだが、今迄にはその他にも一時停止違反二度、シートベルト装着違反も一度
あった。スピード違反などは二度も捕まってしまった。 一度目は、荒川大橋。あそこは、熊谷市街側は一車線で橋の上は二車線になっている。あの時は、橋に差し掛かったところで、左側車線が混雑していた。そこですいている右側車線に変更して、気持ちよく追い抜いて橋を渡った。渡った所で、旗を振られた。橋の途中に速度測定器があったらしい。気が付かなかった。左側を走っていた人達は、取り締まりを事前に知っていたのだろう。知らない私が馬鹿だった。二度目は、大宮バイパス上り線。私の後ろに警察の車がついてきているのにまったく気付かなかった。警察の車は私の後方で走行しながら、密かに私の車の速度をはかっていたらしい。その話を会社の友人にしたら、その友人も羽生市郊外の制限速度五十kmの道で捕まったことがあったという。しかし、警察の車に「赤色灯を出さずサイレンも鳴らさないのでは民間の車と同じだ。私がスピード違反していたというのなら、私の車を追い越したあなた方もスピード違反じゃあないか」とくってかかったという。勿論、そんな屁理屈は受け入れられなかったようだ。
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話は変わるが、今年(二〇二三年)四月一日から、自転車へ乗る場合はヘルメットの着用が努力義務化された。自慢するわけではないが、私は十六年前の二〇〇七年四月からヘルメットを着用している(と言って、結局のところは自慢している)。当時、市内では郵便配達でバイクに乗る人は着用していたが、自転車では私以外全く見かけなかった。交差点付近で信号無視の車の有無を見張っているパトカーの運転手さんとも親しく挨拶を交わすようになった。現時点で、乗車回数約二千回、走行距離約二万kmに達した。熊谷駅や市役所・熊谷郵便局・中央公民館等が多いので、一回当たりは平均往復十km、乗車時間五十分程度である。体力維持の為なので最初からママチャリを使用。タイヤとヘルメットは既に二代目。しかし、八十歳になった時に車を廃車にして運転免許証も返納したから、今では体力維持の範囲を越えてママチャリは生活の足になっている。最近、お年寄りの自転車での交通違反や交通事故などが、たびたびニュースになっているが、車にしても自転車にしても、自分の身は自分でまもる以外にないと思っている。
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ところで、車に乗れなくなった私は、雨の日など「料金後納・ゆうメール」の郵送手続きを今でも妻に頼んでいる。 (20230505C)

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